熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

倦怠の五月

倦怠の五月

 

       (1)

 こんなはずではなかった。本当は「麗しい五月に」というタイトルにしたかったのだ。ハインリッヒ・ハイネの詩集『詩人の恋』(後にシューマンが作曲)の冒頭の歌に倣って。五月というのは本来もっと爽やかな季節ではなかったか。肌に優しい風が吹き、町も野山も穏やかな光に包まれる。そんな心地よい月ではなかったか…。ところが現実は、生暖く汚れた空気である。爽やかなのは早朝の1、2時間だけで、昼間には真夏の気温となってくる。今日は何と、塀越しに夾竹桃の赤い花まで見てしまった。まだ初夏のはずなのに。日本だけではない。世界各地から、やれ洪水だ、山火事だというニュースが届く。ここ数年、あるいは十数年の間に、地球的規模で時間の歯車が速回りするようになったことを実感する。しかしその速さについていけず、挨拶の言葉さえ愚痴が出る始末である。

 

       (2)

 春から初夏へ、俳句の習作。

〇世を怒り世に流されて春の雲

〇夕闇の道の標(しるべ)に花茨

〇葉桜や小枝引き寄せ雨宿り

〇その色香吾にも絡め忍冬(すいかずら

〇風向きは変わりゆくもの金銀花

〇道の駅つばめも人もともに客

〇人は中へつばくろは巣へ道の駅

〇山法師脚立に立って花を撮る

 

      (3)

 この時期にぴったりの音楽を思い出した。かつてヘレン・メリルというジャズ歌手がいた。その歌を初めてラジオで聞いたとき、たちまち彼女の虜になった。神秘的なおとなの女性の雰囲気があった。そして自分でもディスクを手に入れた。何度も聞いてみた。そのハスキーな声、気怠さそのものの歌い方、眠気を誘う旋律。もう何と形容すべきか言葉も見つからない。あえて言えば、物憂さである、倦怠である、アンニュイである。

「私が馬鹿(アイム・ア・フール)」、「何か変わったことでも?(ホワッツ・ニュー)」など、溜息なしには聞けない曲だ。(実際、彼女自身も歌いながらたびたび深いため息を入れる!)

 わが国の政権政党は相変わらず無責任な態度をとっている。統一教会問題も裏金問題も、本気で解決する気持などさらさらないようだ。かといって、解散・総選挙に打って出ることにも及び腰。怒りが湧くが、無能な政治家たちに腹を立ててもしかたがない。こんな時にはせめて、ヘレンさんのジャズを聞いて腹の底から溜息をつこう。 

 

                      ~~オウシャン・セイリング~~