私も「じゆの菩薩」なのだ
今日は9月23日、秋分の日、彼岸の中日だ。
一昨日21日は檀那寺の「本励寺」(熊本市中央区本荘)で彼岸祈祷会が行われた。いつものように事前に先祖供養の「塔婆」を二本お願いして参加した。ちょうど藤崎宮秋の例大祭の日であり、白川を挟んだ対岸の辛島町界隈から馬追の大声が秋風に吹かれて響いてくる。大渋滞を予想して寺まで歩いたが、予想に反して車は少なく、近隣の駐車場も余裕の「空き」であった。
汗を拭き拭き着座すると、本堂前面には各信徒が申し込んだ卒塔婆が百数十本立てられ、すでに大きなろうそくの炎が揺らいでいる。塔場は一本二千円だから・・・というような下世話な計算はしない。
住職を先頭に入場した七人の導師たちが大曼荼羅の前に着座し(今時は椅子)、読経がはじまる。微妙に振動数が違う七人の声が朗々と流れると、それだけで一気に異空間に入る。はじめはゆったりと、後に大音声(Fortissimo)かつPrestoで読経されると不信心な私も曼荼羅の世界に導かれる。鈸(ばち)と銅鑼が鳴らされ、木柾(もくしょう)の甲高い音がリズムを打ち鳴らすと読経は最高潮を迎える。そして太鼓が打ち鳴らされ「お題目(南無妙法蓮華経)」が幾度も唱和される。参加した檀信徒全員が焼香を終えると、四誓が唱えられおつとめは終了する。
本励寺住職の法話は、ことのほか面白く、「追っかけ」がいるという噂だ。ユーモアも交えながら日蓮の教えを説く。曰く「此岸は彼岸、すなわち現実の世界こそ仏の浄土です」曰く「さまざまな宗派がありますが、日蓮宗では釈迦牟尼仏がご本尊であり、それは唯一『人由来』、私たち信徒とDNAでつながっているご本尊です」「お釈迦様が菩薩として修行され仏となって人々を救おうとしたすべての功徳は『妙法蓮華経(お経の題目)』の五文字にすべて備わっています。わたしたちがそのことを受持すればお釈迦様と私たちは一つになります」曰く「ここにいる皆さんも、大地からわき出したお釈迦様の弟子『じゆの菩薩』です。お題目を唱え自他の幸せのために行動する菩薩です」・・・凡夫かつ高齢の故、話の面白さの一つも伝えきれないのが残念。
お斎(これがいつも美味しい)と資料をいただいて帰宅した。資料は、8月1日付けの「日蓮宗新聞」と「あんのん(日蓮宗いきいきマガジン)」夏号、それに10月7日に開催される「日蓮宗熊本県護法大会」のチラシだった。
「日蓮宗新聞」の一面記事タイトルは「お盆と終戦80年 平和を祈り続け、いのちに合掌を」。二面は「東京大空襲の記憶 平和な世界を」と題して総本山身延山久遠寺法王の持田日勇氏の寄稿。1945年3月10日の東京大空襲の「凄まじい東京の燃えよう」「黒焦げの死体の山」をリアルに描写し、共に生きられる社会をつくりましょうと呼びかける。三面四面は終戦80年の特集で、住職や檀信徒14名の戦争体験記。同じく三面には「原爆で命を落とした人へお題目」と題して被団協代表委員の田中重光さんの、そして「薄まることのない衝撃と悲しみ」と題して長崎市本蓮寺檀信徒鈴木鐵城さんの被爆体験記事がある。五面は沖縄・広島・知覧における各宗派の平和行動が記事になっている。季刊誌「あんのん」夏号も「被爆・戦後80年記念号」で、冒頭の論文で「四摂事(布施、愛語、利行、同事)の実践で真の浄土を建立しよう」と訴える。。
日蓮宗も先の大戦の実相と戦争の本質に迫り、平和な世界を構築しようと呼びかけている。
(Trout 2025.9.23)