熊本教育ネットワークユニオン

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森のメランコリー

 森のメランコリー     

   見晴らしの利かない道を歩いていると、やがて目も耳もその働きを止め、代わって内なる意識が目を覚ます。できることなら明るい未来に思いを馳せたいと思う。が、そこは未知の世界だ。そうたやすく受け入れられるはずもなく、心は自然、過去へ過去へと遡ろうとする。ならば、なるべく美しい情景を呼び戻したい。そう努めてみるのだが、浮かんでくる景色はことごとく断片ばかりで、どうも物語としての連続性に欠ける。どの場面においてもその時その時の情感があり、それに続く息遣いがあったであろう。なのに記憶の回路は途切れたままだ。そして時おり、あまり愉快ではなかった場面が心を過る。無知や迷妄、確信の持てない予測、拠り所のない判断、そして誤った決断等々。美しく縁取ることのできなかった絵が、心の底には山積みだ。酸っぱい、苦い、いや極めて塩辛い追憶ではある。ただ、今さらどうすることができようか。
    道は緩やかに起伏して樹林の中に続いていた。色褪せた落ち葉が山靴の下で何かを語りかけていた。よそ者にはただ、ザリザリと、サックサックと、ありふれた人間界の擬音でしか聞こえてこないが。だが待てよ。過去のできごとも色褪せるからこそ振り返ることができるのではないか。そうでなければ、蒙昧な青年時代に戻ることなどできはすまい。そう思うと少し心が軽くなった。
    鳥は鳴かず獣の気配もない。急ぐ必要もないのでアンダンテのリズムを刻んでいこう。目を上げてみる。ブナとツガの立ち姿が優美である。自分は今、微笑さえ浮かべているかもしれない。森の中を逍遙しているこの時間が無上の美しさに思える。柔らかな空気を作る日射しのように、夢想が自由に広がってゆく。
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    長年にわたって一人だけの山歩きを楽しんできました。風や森の中にもいのちがあり折々の息遣いがあることを感じます。それらをどのように受けとり、言葉としてどう伝えることができるか。己に与えられた課題だと思い、紀行文やエッセーに綴ってきました。独りよがりの世界かもしれませんが、今しばらくお付き合いください。皆様、良いお年をお迎えください。

(ネットワークユニオン・S)