「白川の関」を越えるか
夏の甲子園は、準決勝で「仙台育英」と「下関国際」が勝利し、明日の決勝は東西対決となった。しきりに「優勝旗は初の白川の関越えなるか?」とアナウンスされる。奥州三関のひとつである白川の関は、芭蕉が「奥の細道」への旅心を定めた地だ。「奥の細道」から「白川の関」の部分を引用すると、
『心許なき日かず重なるままに、白川の関にかかりて旅心定まりぬ。「いかで都へ(なんとかして白川の関に着いたことを都に知らせたい)」と便り求めしも断(ことはり)也。中にも此の関は三関の一にして、風騒の人(歌人たち)、心をとどむ(心が魅了された)。秋風を耳に残し、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢猶ほあはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改めし事など、清輔(藤原清輔)の筆にもとどめ置かれしとぞ(書き残してあるとか)。
卯の花をかざし(かんざし)に関の晴れ着かな 曾良(芭蕉の弟子)』
3月27日に江戸深川を出発した芭蕉一行は4月20日に白川の関に到着し、それまでの、何となく心細く不安な気持ちが、やっと落ち着き、旅心が定まったという。
奥州への入り口であり、歌枕としても有名で、古人が(能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」という歌に)敬意を表して冠を正し衣服さえ改めたという「白川の関」(曾良は改める衣服がないので、代わりに卯の花をかんざしにしたと洒落た)を越えることは、やはり一大事だったのだ。
興南高校が沖縄に深紅の大優勝旗を運んで12年。大優勝旗は遂に「白川の関」を越えるのか否か。決勝戦は今日8月22日だ。
1)昨日の投稿で編集者の作業が間に合わず、一部書きかえました。
2)参考資料
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