熊本教育ネットワークユニオン

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安全なら海に流さなくてよい

安全なら海に流さなくてよい

 

    安全なら海に流さなくてよい。安全でないなら、海に流してはいけない。

と。
     まっとう過ぎるコメントだ。なるほど。
     放射性物質を含む汚染水を処理水と言い換えろ、という圧力もあったようだけど、私は、とりわけ安全かどうかというかところに注目し、安全でないから、海に流すな、と思っていた。
    安全でないからタンクに貯めていた。そしたらタンクが一杯になって、もうためきれなくなった。そしたら、それで海に捨てる?
    麻生君は、「飲んでも大丈夫」と言ったらしく、それなら麻生君が飲んでみせるのかと思ったり(かん君は「かいわれ大根は安全」と食べてみせたことがある。)、山口君は「海水浴の季節ははずして流したがいい」と言ったらしく、それは安全でないと知ってるからかな、と思っていた。
    だが、、、。

    安全なら海に流さなくてよい。

    そのとおり。安全なら海に流さなくてよい。
なんどでもわかるまでいったがよさそう。安全なら海にながさなくてよい

    おれおれさぎをあまり聞かなくなったが、これも一種のさぎではないか。
   「あなたのうんち捨てられないから、タンクに貯めときます」、と言っておいて、「タンクなくなったから海に捨てます。」と似てないか。(うんちなら、まあそのうち、分解されて、害とはならないけど)
    地元の漁業組合は流すのを反対してる。そもそも、この核廃棄物は、その害をなくすのには時間(しかも何万年もどこかに埋めとく)しかなく、トイレなきマンションのようなものだから原発つくるなと言われていたのに、強行した。やはり、人間の力でどうすることもできない、とはっきりしたのに、海にだだもれ?。責任だだもれ。これは無責任無能力の政権としか。なのにどうして?強い力があるのか。権力?金力?改ざん力?