舞台は秋へ
(1)
今日も野道を歩く。歩きながら考えた。何と苛烈な、眩くような夏のステージだっただろう。人間社会は摩擦で加熱し、企業は浮かれて低俗な不正を働いた。より激しいのが気象であった。池の水が沸騰し始めるのではないかと心配した。道路や広場の各所で、炎が立ち上がるのではないかと不安であった。「異邦人」のムルソーは自分が犯した殺人を「太陽のせいだ」と証言したが、あながち不条理な、荒唐無稽な話でもないのではないかという気になった。実際に、世界の各地で熱波や山火事のために多数の人が命を落とした。反対に、その裏返しである台風やハリケーンのために大雨や洪水が頻発した。大地も海も、人間の支配下から脱して、徐々に自らの意思で動き始めているのではないか。
いよいよ地球の逆襲が始まったと考えるのは妄想の類であろうか。いやこれは、明らかに地球の囁きであるに違いない。気づいてほしいとしきりにサインを送っているのである。良心的な市民や科学者たちは動こうとしている。動かないのが為政者だ。恐ろしい打ち明け話を、聞くまい、聞くまいと努めている様が見える。そしていずれ、取り返しがつかない日がやってくるだろう…。
(2)
この夏に覚えた草花たち。(Googleレンズを利用)
・アレチハナガサ(荒地花笠)
・ショウジョウグサ(猩々草、別名夏のポインセチア)
・エビスグサ(恵比寿草)
・ヨウシュヤマゴボウ(洋酒山牛蒡)
・ヤブミョウガ(藪茗荷)
・ヤブガラシ(藪枯らし)
・センニンソウ(仙人草)
生物学では動植物をカタカナで表記すると習ったが、個性に乏しいのであえて漢字を振ってみた。この方が特徴や植生まで見える気がする。「ヤブ…」の名は、名づけられた植物の側に立てばあまり有難いとは言えない呼称だろう。人間世界では、体格や身体的特徴を示す言葉を差別用語として忌避するようになった。しかし植物ならかまわないということか。中でも、
・ワルナスビ(悪茄子)
の二つは手厳しい。いずれも道端を美しく飾る可憐な小花なのに。
(3)
夏の終わりから初秋へかけての句作(廃句=駄句)
〇それからの日々語りつつ夏料理
- 見せかけてブルーベリーの未熟かな
〇黙禱の鐘ふくよかに百日紅
- 台風の逸れて愚痴聞く朝餉かな
〇万緑や戦火の絶えぬ星なりき
- 夕風や野菊一輪艶めきぬ
〇群れ草に一輪白き野菊なり
- 鴉啼いて万緑深きこだまかな
〇にわか雨来るも炎帝静まらず
- 葛の葉で汗を拭きふき夕散歩
〇青鷺の屹と吾見て動かざる
しかし季節は巡る。ここ日本では、ようやく秋の舞台が始まろうとしている。緞帳が上がると同時に風が和らぎ、虫の音も聞こえるようになった。気の早い彼岸花が土手を染め、稲穂はずっしりとした重みに頭を垂れる頃である。これまでとは違う、叙情的な、そして色彩豊かな話題が届く季節であってほしいと願う。
- 蟋蟀の鳴く宿近く闇深く
〇夢に覚めてその後眠れぬ虫時雨
- 柔らかき朝日となりてちちろ虫
(あとがき)ここ数日重厚な内容の投稿がが続いていることを、本日(9/12)知りました。季節の話題や俳句など私の投稿はほとんど二番煎じとなりましたが、4~5日前から用意していた文章なのでこのまま投稿することといたします。読んでくださればありがたいです。
~オウシャン・セイリング~