肥後の古刹を巡る~その2・国見山と康平寺~
国見山はここでは山鹿市鹿央町にある山を指す。全国には夥しい数の「国見山」或いは「国見岳」があって、熊本県内に限っても少なくとも十山は下らない。最も有名なのは九州脊梁最高峰の国見岳(1739メートル)で宮崎県との境をなす。筑肥山地にも三国山との稜線続きに国見山があって、福岡県との境界を作っている。しかし最も多いのが県南部で、鹿児島県及び宮崎県との境をなす山脈である。ここは別名を国見山地と呼ぶくらいだ。手もとの20万分の一の地図によると、何と6座に国見山の名がついている。すなわち熊本県は隣接する3県とすべて国見山、国見岳で接している訳である。そのほかに球磨(五木地方)の国見山も昔から登山対象として有名であるが、自分はまだそこに足を踏み入れたことがない。「国」というのはおそらく「里」の意味で、いずれも山頂からの見晴らしがよい山であると推察できる。
康平寺は鹿央町の国見山(388メートル)の直下にある。霜野という集落の外れに、大木に囲まれて静謐、幽境の趣を呈している。市のホームページによると、創建は平安時代末期(康平元年・西暦1058年)で、天台宗の山岳密教寺院として発展した、とある。最盛期には「四方の谷に四つの法塔と九十九院(僧侶の住まい)を配し、祈りや学問、修験の道に励んだ」というから、九州における天台宗の一大中心地であったと言えるかもしれない。このお寺にはまた、木造千手観音像や二十八部衆立像(いずれも県重要文化財)が保存されていることでも有名。ぜひ拝んでみたいと思ったが、訪れた日がたまたま平日で、「今日は開館いたしません」ということであった。ちなみに、境内の掃除や建物、収蔵庫の管理などはすべて霜野集落の人々が交代であたっており、土日と祭日には見学可能だそうだ。本堂を覆う銀杏の大木が黄金色に染まる頃、再度訪ねてみたいと思う。
さて、国見山登山を始めよう。低山ゆえに3時間で往復できるだろうと見当をつけた。車は康平寺の駐車場に置かせてもらうことにした。登山口は本堂に向かって左側、尾根の一端に付けられている。広い立派な道できわめて登りやすい。きっとこの道も、地元の人たちが定期的に整備をしてくれているのだろう。あるいは杉、檜の植林が多いことから、その作業のための林道かもしれない。いずれにせよ植生的には他の山々と変わるところがなく、大した魅力も感じなかった。が、山頂が近づくにつれ、クスノキの大群が現れた。思わず目を見張る光景だった。ガイドブックにはその数一万本とある。実はここは、その昔、樟脳を採取する目的で熊本県が植林したところだそうだ。時代が変わった今ではその用途での植林、伐採は必要がないので、「県有林やすらぎの森」としてそのまま残してあるという次第である。各地の神社に樹齢数百年というクスノキを見かけるが、それほど大きくはなくとも数が多いので醸し出される雰囲気は深山そのもの。何だか脊梁山地にでも来たかのような錯覚を覚えた。
山頂は小高い丘のようになっていた。かつてはその名の通り「国」が見渡せたのであろうが(麓の康平寺の看板には、阿蘇やくじゅう、雲仙などの見晴し絶佳と案内あり)、今は周囲の樹木が伸びて熊本市の郊外が一部見下ろせるだけだった。帰路は反対側の尾根を下った。地図を持たない、いわば初心者がやってしまいがちな危険な登山であったが、幸い道がはっきりしていて助かった。
~オウシャン・セイリング~