熊本教育ネットワークユニオン

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初夏の散歩とジャズの音色

  初夏の散歩とジャズの音色

 

〇今日も野道が私を誘惑する。五彩の色を放つ花々がにこやかに挨拶の言葉を送ってくる。同じ大地に根を下ろしながら、どうしてこんなにも色と形が違うのか。いやそもそも、地面の下にどんな力が働いて花びらが黄色や紫色に染め上がるのか。素直な疑問である。化学者や生物学者なら明確に理由を語るだろう。それは鳥や木や人間だって同じだよ、個体はみんな違うじゃないか、すべては遺伝子が決めてしまうのさ、と。そうかもしれない。土壌の中の酸とアルカリも関係するだろう。だけど、白詰草のすぐ脇に待宵草が、そのまた隣に姫女苑が咲いているのはやっぱり不思議な光景だ。疑問に思うからこそ散策も続いているのかもしれない。

 

〇ところで、さっきからジャズのリズムがドンドン、ジャンジャンと頭の中で鳴っている。運転中に聴いていた、ベニーグッドマン楽団のドラムのリズムがまだ付きまとっているようだ。金管木管の楽器群の滑らかな旋律の上に、独奏のトランペットとクラリネットが自由自在に、天衣無縫に歌い、舞い上がっていく。一度や二度で終わらない。アドリブを交えて何度も何度も繰り返されるのだ。わが頭の中ではさらに増幅されて、もうさっきから30分ほども続いている。古いながらも常に新しい音の群れ。こういうのを名曲というのだろう。

 

ウクライナとガザの悲劇。死者がその名前ではなく数字で表される不条理を、今更ながら思う。兵士であれ無辜の民であれ、命がまるで枯草のように軽んじられる状況がこんなにも長く続くことを誰が予測しただろうか。当事国の指導者たちに問いたい。十よりも百、百よりも万の命を奪うことが戦果を上げることだというのですか。平和を保つことだというのですか。あなたたちが肚の中に抱く恨みや憎しみの、黒い雲を取り払うことができないからといって、雨や霰のようにミサイルや砲弾を降らし続けるのですか。鬼のような顔をして人殺しゲームを続けるのですか。

 

〇「人間は自己に立ち返り、実在するものに比して自己が何であるかを考えてみるがいい。人間は自己自身を、自然のこの辺鄙な一隅にさまよう者と見なすがいい。彼は自分の住んでいるこの小さな土牢――それを私は宇宙の意味で言っているのだが――から推して、地球や個々や町々や自己自身の真の値いを、見つもることを学ぶがいい。」(「パンセ」72、松浪信三郎訳、河出書房)

 

〇もしも、ということを考える。もしも日本のこの場所が、のどかに野の花が咲くこの田園地帯が戦場となるならば、彩り豊かな花々も、芦原で遊ぶよしきりも、毎日決まってこの時間に通る貨物列車も、自転車に乗ってくる元気な外国人労働者も、乳母車に乗った赤ちゃんもまたその母親も、みんな黒い灰となるだろう。これを犯罪と呼ばず何と言おうか。巨大な悪の前には人も自然も沈黙せざるをえない。

             ~オウシャン・セイリング~