熊本教育ネットワークユニオン

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私の折々のことば④

私の折々のことば④

ああ、もしもあの人があなただったら!

  中学2年生のとき友人から「「白夜」っていう小説は何を書いてあるかわからない」と言われた。彼は僕に読書のきっかけを作ってくれた、いわば恩人。「俺はまず、教科書の後ろに書いてある本を読もうと思って少しずつ読んでいる」と僕に語る。影響されやすい性分の僕も国語の教科書の巻末の小説を読むことにした。

 あるとき、おそらく教科書巻末にはなかっただろう「白夜」が話題になり、先の発言を聞くことになる。真似小僧の僕は「白夜」を読むことになる。初めてのドストエフスキーである。中学2年生の僕には短編ではあったが、友人と同様全く分からなかった。

 高校生になり、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」が高校図書館で読めるようになり、ドストエフスキーに夢中になることができた。その時「白夜」がドストエフスキーの作品であることを知っていたのかは定かではない。

 大人になって、「白夜」を読み、「ああ、・・」と理解することができるようになった。本はお寺の鐘と同じで、大きくつくことができれば大きく響き、小さくつくことしかできなければ小さな響きしか与えてくれない。中学2年生では少し早かったか。

 アンドレ・ジイドの「田園交響楽」では、手術によりで光を獲得したジェルトリュードは、彼女を献身的に支え、いつしか愛情を注ぐようになる主人公に向かい、「あの方はあなたにそっくりの顔をしていらしたのです」と告白する。

 愛の真実と偽りを感じ取ることは難しい。

 映画「巴里の屋根の下」でも主人公は身近な者(この場合は親友)に想い人を取られてしまう。

 物語はそこで終わるのだが、その後の3人の人生はどうなったのか。