熊本教育ネットワークユニオン

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3年ぶりのクラス会

3年ぶりのクラス会

 

 11月上旬、福岡で大学のクラス会があった。コロナ感染者が減少していた9月下旬に熊本在住の同級生から、電話があった。大学入学から丁度半世紀。熊本と福岡にいる同級生2人が中心となって、卒業以来ずっと3年おきくらいにクラス会が開催されている。もう10何回目だろうか。九州・山口から集った30名弱のクラスだった。70歳前後になり、すでに亡くなった方もいる。今までは、福岡や熊本で場所を変えて行われてきた。3年前の熊本での前回、初めて大学のある街でしようということになった。コロナ禍になり、どうなるのかなと思っていた。感染者数が減少し、緊急事態宣言や蔓延等防止措置も解除になった。感染が再拡大したら、中止にならざるを得ない。少し気をもんだが、10数名の参加で開催となった。県境を越えるのは、昨年1月以来である。

 

 駅で集合し、大学を散策することになった。私は、北九州方面の受験見回りや職場開拓の際に、数回立ち寄ったことがあった。大半は40年以上ぶりに大学構内に入ることになる。入学した頃は統合してあまり年数が経っておらず、樹木は細く隙間があった。今は、みな大木となり鬱蒼としていた。コロナで学生が登校できなかったこともあり雑草が伸びている。校舎の配置は余り変わっていなかったが、ソーラーパネルや当時ほとんど無かった空調室外機などが設置されていた。休日だったので、研究室があった自然科学棟には入れなかった。

 

 散策の途中、弓道場の入り口が開いているのを見かけたので、1人はずれて立ち寄った。以前に来たときは平日で鍵がかかっていた。道場内に入るのは46年ぶりである。「失礼します。弓道部のOBですが。」男女の学生が5・6名いた。私は大先輩なのだが、妙に遠慮してしまう。「クラス会で今日来ています。皆、70前後です。」やはり、皆若い。現在の部員数は20数名だそうだ。私たちの時の方が多かった。道場内の配置なども忘れていた。ただ、道場を囲む樹木はとても巨大化していた。

 道場後方壁には部員名の木札が何百とかかっている。私の名前も最上部左方にあった。「キャンパス統合してからできた部の4・5代目の学年です。」同じ代の名前を追いながら次々に読み上げた。最初の部長のときに男子部員が「私も同じ名前です。」と言ったが、子や孫ではないようだ。木札の筆跡は同じである。高校の時は自分で書いたが、誰に書いてもらったのか全く覚えていない。同学年の名札付近を1枚だけ撮影した。他の皆を追いかけようと少々焦っていたので、早々に道場を出た。今思えば、道場内や先輩や後輩の名札も撮影していれば良かったと思う。

 

 クラス会の会場は、昔は無かった観光交流施設みたいなところだった。長いテーブルの個々の席は透明のアクリルパーティションが前と左右に設置してあった。コロナ禍になって外食をほとんどしなかった私にとっては、初めての光景で何か新鮮である。会は現状報告から始まった。地域での役割、家族、子や孫のことなど、様々であった。中には、子の離婚のことまで。私は以前にこのブログで書いた熊本地震のとき妻と2人で阿蘇と熊本を行き来したり、オンライン授業をしたことなどをかいつまんで話した。

 2名を除いて、小中高で教職に就いていた。現在、教員をしているのは私を含めて3名だった。そのうちの1人が70歳過ぎても常勤と聞き、一同大変驚いた。管理職で辞め、何年かしてから教職に復帰。60代後半で中学校でクラス担任もしたそうだ。私には、考えられないというか、無理だと思ってしまう。

 質素な生活であった。みすぼらしい格好もしていた。授業料は安かった。学生運動があった。若気の至りもあった。記憶は年々薄れていくが、話しているとよみがえる。数人ずつで盛り上がる。言い古された言葉だが、「青春」だったなあと思う。

 3年後は参加者の1人が住む福岡県南で開催することになった。いつまで、続くか分からないが、これからも参加していけたらと思う。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)