熊本教育ネットワークユニオン

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倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑦ 【琉歌 その4】

 

 

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倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑦ 【琉歌 その4】

     25年前に、高教組菊鹿地区本部が主催する夏の地区教育研究集会で石川眞昭(安仁屋眞昭)さんを講師に迎え講演していただいた記録である。記録を残し石川様に印刷の許可を得る作業中に本当に「お蔵入り」してしまっていた。このブログを借り何回かに分け掲載したい。尚、テープをおこした文章であり、これ関する責任は編集者にある。

熊本高教組菊鹿地区本部の教育研究集会

   講演  九州芸術工科大学(当時)  石川眞昭(安仁屋眞昭)さん

       現在は宜野湾市におすまいです。

【琉歌 その4】

 この琉歌は喜びに付け悲しみにつけ沖縄の年配の人はよく出されます。上手下手は別です。本土の皆さんは、短歌は教室に通ったり、先生がいて短歌の学習をしたりして和歌を詠われますね。しかし沖縄の場合必ずしもそういう風なものではなくって、自分が感動したらそういう歌が自然に出てくるものであって、そんなバックがあります。たとえば沖縄の恩納村に今から300年前、恩納なびという方がおられました。その方は普通の農家の方だが歌が大変素晴らしいという事で今に名前が残っています。その方は古典にもたくさん作品が出てきます。また同じ農村出身で貧しい家に生まれ、遊女として遊郭に売られ、二十前にはなくなった方で、たいへん優れた歌を残して名前を残している方がいます。遊郭首里の大名家が来られる、上の句を投げ、下の句を返したら合格という様なこともおこなわれていた。あるときはお供の方が遊女に対して返した。そしたち主人は呼ばれないで、お供の方が呼ばれた話もあります。これは万葉時代によく歌書きともうしますか、いろんな歌集にもありますように、男女の仲歌でやりとりしておりますね。そういうことが沖縄では、明治の初め頃まで男女の掛け合いを歌でやっていたということもあります。そこで出会いもあったようです。即興で三線を弾きます。そしたら歌の文句は決まっておりますのでどの曲にも載せられるわけです。

(つづく)次回は【古典舞踊・三線】です。

 

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