熊本教育ネットワークユニオン

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国葬は嫌だ!(1)

 お亡くなりになった方を非難することは、「死屍に鞭打つ」と言って、やってはならないことのようです。また、それを行ったら自らも同じ目に合うことになったことが史記に書いてあるとのことです。亡くなられた安倍氏に「賛美は良いが非難はしない」マスコミ界と言われています。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/308287 しかし、国民の税金で国葬をするとなれば話は別です。たとえ人の道に外れた行為と言われようともまたそのことで報いを受けようとも書かせてもらいます。

 もちろん、私は今回の銃による殺人事件を1mmたりとも容認するつもりはありません。暴力は嫌です。この事件で、民主主義を壊してきた人たちが、事件を「民主主義に対する挑戦」などとおっしゃる。「エー あんたが言うか」。安倍批判や統一教会と政治の関係を論じようとすると、「犯人と同じ発想になってしまう」とか「暴力を容認するのか」とかの言葉を浴びせ、自民党統一教会の関係解明に近寄らせないようにガードされます。 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_12389/

https://johosokuhou.com/2022/07/13/59844/

本当に「醜悪」なものを見ているようで気持ちが悪くなります。テレビの前で怒りたくなります。結果(犯人)がわかっている「刑事コロンボ」を見ている気がします。長くなりましたが本題に入ります。

 まず、葬式は既に済んでおり、これ以上国費を使いいろいろするのは如何なものでしょうか。高校3年生のとき、吉田茂国葬があり、特に学校からの指示はありませんでしたが放課後学校に残っていた級友はサイレンにあわせて黙とうをしていました。「この人があって私がある」との言葉とともにでした。すごい、この人はこんなことを考えることができるのかととても感心しました。しかし、ひねくれものの私は高校生ながら国葬そのものに違和感を感じていました。国が金を使い元首相とはいえ個人の葬式するには何か理由があるはずなんです。それは哀悼の意を示すだけではないはずなんです。

(つづく)

参考