かぶと復活か自転車ブーム
自転車に乗るときヘルメット着用が努力義務。努力義務とはなんか変だと思ったがワクチン接種も努力義務だったらしい。
①努力とはしようということ。ビール高いから焼酎にしよう。でもビールだけ飲んで焼酎飲まなくても、「焼酎がいいよね」と言われるくらい。が②努力義務となるとビールだけだったら、「義務おこたってるだろう」と怒られるのか。それでも、つぎはビールが、飲めず焼酎だけということにはならないのか。③努力がはずれ義務だけとなると、ペナルティでビールはおろか焼酎も飲めないとなりそう。
努力に義務がついてると分かりにくいが、どうも罰則がつかない、というのが区切りのようである。(ワクチン接種努力義務があったようで、うってない人を私は知っているけど)
強制するのであれば、ヘルメットは貸与すべきだ。「寒いから風邪ひかないようにこの外套を着てね」、と言って外套をやるのならわかる。だが「外套を買え」となると、これは認められない。(押し売りというやつではないか)
なので、ヘルメットはあげないが、義務(強制)だからね。と、努力義務?努力しようと勧めるようで義務と、(勧奨なのか強制なのか目眩ましてあいまいにして、)そのうちに罰則しますよ、と予定されてるのかなあ。
自動車でのシートベルト着用義務も、似たようなもので、個人の危険回避に強制が踏み込んでいるので、その続きなのか。
これまで自転車でヘルメットをかぶってる人もいたし、かぶってない人もいた。それは、危険に対する個人の対応であり、個人が決めることであり、他人から大きなお世話はいらない。ましてや、強制して金をふんだくるのは仕事ではない。その危険をなくすために自転車が安全にのれるように自転車道を整備するなどの環境整備をするのが仕事ではないか。危険をあげて、個人に責任を押し付け、環境整備の責任を投げ捨てる巧妙な手口ではないか。
詐欺が横行するながれでの新たなヘルメット詐欺なのか?
税金を払い、国民の暮しを守るための仕事を頼んでいるのに、そのお金出している主人に向かって、ヘルメット買えとは、恐れいることではある。
そのうち、「危ないから戦争します。戦争いくのは努力義務です」などとならないように願います。
戦争を人が決められない「戦争の放棄」憲法9条をもち、外交で解決するという日本の決まりがあります。飯食ってボール追いかけ楽器演奏できる平和の日々はありがたいことであり、なおかつ平和であり続けるようにするのも不断の努力ではないのかと思います。
とりあえず、自転車ヘルメット着用なしでの罰則導入されないように祈る。
(M )