8月10日の朝日新聞で、編集委員が、「かつては軍備縮小の必要性を説き、軍部の横暴や言論統制を批判する急先鋒だったはずの朝日新聞が、なぜ、戦争翼賛にカジを切ったのか。」と述べている。そして、「では、朝日新聞はなぜ変節したのか。きっかけは1931年に起きた満州事変だった」と。
学校にまで軍人が入り込み、国会は翼賛体制とし、隣組など民間組織の参戦体制、メディアも、全てが戦争遂行一色であった。と思っていたが、いやどこかまでは、批判をしていた朝日新聞であったようだ。いや、少しずつそうなっていつのまにか、一色になる、と言われれば、そうだろうが。
この記事は連載のようで過ちを繰り返さないための検証だと思う。
大リーグでの大谷選手の活躍が報道される。確かに、勝負で活躍する姿は、気持ちがよく、まるで自分が活躍したかのような気にもなるのだろうか。見たくなるのだろうし、報道すれば売れる(見られる)のだろう。戦争ともなれば、勝ったと報道されると、応援にもいっそう力がはいり、あおりたてることで、新聞もどんどん売れていった。
大本営は、戦果をはなばなしく報道し、不利は転身とごまかし、戦争をあおったようである。そこには、人が人を殺し、殺される場面や、食料なく餓死していく人の場面は消されていたのか。
ウクライナでは戦争がまだ続いている。戦争やめろの声がまだ小さいのか、続けられることでもうかる人が、やめさせないのか。メディアでは、ドローンがどうの、反転攻勢がどうのと、まさにゲームを見るかのようになってしまっている。そこで、失われていく命が見えない。あるいは、自分が殺されようとする場面になったときでは、遅すぎるのに。
(ネットワークユニオン M)