熊本教育ネットワークユニオン

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天草のモンサンミッシェル

高杢島;干潮時.JPG

 

高杢島;満潮時.JPG

城島.JPG


 

 

天草のモンサンミッシェル

 地元新聞に県下の名所・旧跡・景勝地などの記事が時々掲載される。第2日曜掲載の記者がバスや徒歩で目的地まで行く「乗って歩いて日帰り日記」などがある。ウチの相棒(妻)は随時掲載の「里山を歩けば」で今月紹介された天草市新和町の竜洞山(りゅうとうさん)に行きたいと言いだした。結局行くことになったが、場所や道筋を調べるのは私である。

 天草は新採の地だが、初めて聞く地名である。当時は免許取り立てで休日には天草の各地を中古車でドライブした。丁度天草五橋は無料になってはいたが、下島も上島も大矢野島も狭く曲がりくねった道が多かった。

 

 これまた記事にあった天草のモンサンミッシェルと呼ばれる高杢(たかもくじま)にも行きたいと言う。フランスにある世界遺産モンサンミッシェルはテレビや画像でみたことがある。フランス西海岸に浮かぶ小島の上に修道院がそびえている。潮が引いた時に陸と結ぶ砂州が現れるというが、今は橋が架かっている。

 以前に満潮時の高杢島は見たことがあった。相棒は道ができた時に渡りたいとは言うが、道筋などは覚えていなかった。天草五橋の2号橋と3号橋の間の永浦島から短い橋で樋合島に渡った先にその島はある。

 

 昼11時頃家を出発した。宇土半島を走行中に海を見たら干潮ではないので、そのまま竜洞山に向かった。昔は大矢野・上島を通り下島の本渡まで2時間以上かかったが、今は自動車専用道路もできて20分くらい短くなったように思う。もっと短縮になるのは分かっているが、松島有料道路は通ったことがない。本渡から南下したら程なく目的地に着いた。昔より道路が拡幅されたり新しくできたりしている。

 竜洞山はこんもりした山である。名の由来の洞穴が2ヶ所、キャンプ場などがあった。記事が載ってから間がないが、人っ子一人いない。管理事務所に車があったくらいである。展望台からは不知火海越しに鹿児島の獅子島や諸浦島などが見える。そこから来たフェリーが丁度眼下に。中田港に着岸するまで見ていた。

 別の道で山から下ったら、狭くて落ち葉や枯れ枝が一杯でヒヤヒヤだった。海岸の道路は中央線もあるが、すれ違う車はわずか。新採の頃に1度来たことがある大多尾を通って元の道に戻り帰途についた。

 

 樋合島に渡ると天草富士とも呼ばれる高杢島への道が現れていた。砂や石の砂州を進むと、石の鳥居があった。島の麓を少し進むと、登り口があった。階段状の坂をしばらく登ると木造の社があったが、まだ先に道があった。相棒が登っていくので、後についていった。ジグザグのかなりの急な道をさらに20分以上は登った。頂上と思われる開けた所に出た。そこにはレンガ作りのような社があった。林で周りを囲まれて全く見晴らせない。登ることを覚悟していなかったので、とにかくくたびれた。潮が満ちて来ないかと気もそぞろ。急いで下ったら道があったのでホッとした。

 天草には同じようなところが他にもある。以前に行ったことがある上天草市龍ヶ岳町の樋島の外平(ほかびら)海岸から見える城島である。樋島大橋を渡って島を縦断した不知火海側にあり、高杢島より小ぶりである。丁度砂州の道が現れていたので城島の麓まで行ったが、登り口は無かったようだ。

 

 土砂の堆積が進み、砂州が満潮時でも出ているようになったのが、陸繋島である。日本各地にあるようだが、金印が出土した福岡の志賀島が思い浮かぶ。海の中道で繋がり、博多湾を囲むような半島になっている。他に湘南の江ノ島や函館の函館山などもそうだという。

 

 夕方になり交通渋滞も少しあったが、日暮れ前に家に着いた。これからも同じように付き合うことになりそうである。急に身体が衰えないように、散歩以外にも何かしたいと思っている。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

 

編集者:投稿は文が最初で写真が後でしたが、「写真を見て欲しい」と思い順序を逆にしました。地図は県外の皆様に少しでも位置が分かるようにと添付しました。下の地図の上島と下島の間が上の地図です。