樹林の尾根にて
常々思う。普段スポーツをする人間は山には登らない。山に登る必要を感じないからだ。ひたすら身体を鍛え、技術を磨く。その繰り返しの中から徐々に自分の成長が見えてくる。チームの変化が見えてくる。そのダイナミズムこそがスポーツをすることの魅力であろう。
山に登る暇などないのだ。選手だけでなく、これはコーチや監督にも当て嵌まることだ。勝って嬉しく負けて悔しいのはいわば人生そのものであるから、人は生涯にわたってスポーツを楽しむことができるというわけだ。
ところで、登山はスポーツであるか否か。スポーツの一種であると言ってよいか否か。答は(私の考えでは)否、である。なぜか。反論の声が聞こえてきそうだ。高校や大学に山岳部があるではないかと。現に山を舞台に勝ち負けを競うことが行われているではないか、「スポーツ登山」という言葉だってあるではないか、と。それでも私の考えでは「否」である。なぜなら、山という広大なフィールドには勝負事では捉えられない多くのものが隠れているから。植物学や動物学、鉱物学のような学問もあれば、詩や絵画など文芸や芸術の素材となるものが眠っていたりもする。かつて「山登りはおしなべて文化活動だ。」と明言した登山家さえもいた。
あえて言うなら、スポーツと登山の決定的な違いはその勝ち負けがあるかないかであろう。勝利の瞬間の、劇的な情念の爆発は山ではありえない。ここでは勝利も敗北もなく、ただ自然と一体化したときに穏やかな喜びが沸々と湧いてくるだけである。尤も、山を相手に勝手に勝負を持ちかける者がいないとも限らない。しかし勝者は山であり、人間は常に敗者である。 (未完成)
すべての山に音があり
すべての森に色がある
山を歩くことは山を歌うことだ
森に憩うことは森を描くことだ
いつになったら私の歌は響き始めるのだろう
いつになったら私の画帳はいっぱいになるのだろう (詩も未完成)
~オウシャン・セイリング~