熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

「いち 労働者 」  橋村りかさんのことば

「いち 労働者 」  橋村りかさんのことば

 橋村りかさんは「いち労働者として、生きている」と語った。この労働者という立場を明確にした言葉がいいと思った。
 給料あがらず、しかし物価はあがり税金はとられ結婚をためらわせるような暮らしにのなかでも選挙の投票率は50%ほど。半分の人は選挙に行かないため、業界の締め付けであろう組織票20%ほどのせいで、自公が大方の議席を確保して、税金を海外にバラマキ、武器を爆買いし、汚染水を海に捨て税金を使い、税金議員の海外旅行へ(松川るい自民党女性局長のエッフェル塔とのアホ写真でばれた)と無駄使いがなされている。税金はとられ、一部の人だけがいい目をみて多くの国民は苦しい生活に追い込まれているのに、半数の50%が選挙に行かない。結果20%を補完する50%となり、20%が70%と水ぶくれし、自公が議席取り放題。
 選挙行かないひとつは、労働者としての自覚がないからではないかと、思っている。(雨宮処凛は、それを、いずれ経営者になるが今は発展途上の労働者である、と考えていると、指摘している)
 橋村りかさんは、「ももかは、栄養を直接胃におくるようになつても、学校生活を楽しむためにカスタマイズしていると言う」と。そのたくましさを話される。小学生のとき、臓器不全で入院し、意識があるのかわからない状態で、ベッドに横たわっている。そんなももかさんに、クラスの子どもたちの歌を録音したものが届けられる。それを聞かせていると、意識ないようなももかさんの目から涙が流れた。それをきっかけに、膵臓が活動し、そして肝臓が活動。医者の「奇跡です」の言葉とともに、復活して、学校にもどる。声は出せないももかさんとの対話はももかさんが指で伝える言葉。「言葉がないと思ってる人に、いや言葉はあるんだと伝えるために、支援学校にいく」と。それは、差別をなくすための闘いの宣言であった。だが、ももかさんは17歳で旅立ってしまった。「ももか」さんの姿から、こんな生き方こんな世の中を求められたとして、「誰ひとりとして取り残されることなく、自分らしく生きることのできる、誰もが暮らしやすい社会」を目指して、世に訴えていこうと決心。
 ももかさんの中学生のときの全クラスリレーの映像がながれた。車いすのももかさんを猛スピードで押して走る生徒、車いすの上で足をあげて気持ちよさそうに走っているももかさん。見ていて涙が流れた。全力で走り、全力で支える。あたたかい光景。


 平和、自由、平等、人権の実現だと橋村りかさんは訴えられた。
私は、それは生きていく希望だと思った。

(M)