熊本教育ネットワークユニオン

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30回目の年末大掃除

30回目の年末大掃除

 

 年末の我が家の大掃除は、この家が建ってから30回目になる。教諭や臨採の時は土日・祝日などに駆り出されていた。非常勤講師になってからは出番が増えた。年によって変わるが、照明器具・本棚・窓などの掃除やフローリングのワックスがけは私もほとんど一緒にしてきたように思う。それ以外は妻1人でしていた。妻もいい加減なところはいろいろあるのだが、掃除のやり方にはこだわりがある。

 妻からすると、私のこだわりは時間に対してやかましいことだそうだ。子どもの頃からそして教員になってからも遅刻する夢をよく見ていた。教員を辞めた今でも時々見る。

 

 無職になったので、大掃除全部に付き合うことになった。事前に掃除の予定が告げられる。

 押し入れ・クローゼット・食器棚などは中のものを全部出して、掃除して入れ直す。照明器具の掃除のときは、私はカバーを外して妻に手渡す。蛍光管を取って雑巾で拭う。密閉されたカバーの中にも1年間で小さな虫が入っている。私は掃除した後のカバーを付け直す。

 蛍光灯照明器具は既に国内生産は終了し、水銀を使う蛍光管の国内生産終了や輸入禁止が伝えられている。我が家の照明のほとんどが蛍光灯であるが、インバーター式機具に蛍光管を替えても点かないものが出てきた。15年くらい前は通販で購入した二重環形蛍光灯器具に付け替えた熊本地震前にはホームセンターで購入したLED照明器具に付け替えた。

 LED一体式の照明器具はだいぶ手頃な価格になってきたようだが、蛍光灯に使える蛍光管形状のLEDはまだかなり高い。これからも蛍光灯が点かなくなるだろう。その時どうするかは、身体の状況なども考えてその都度決めることになる。

 本棚のときは本を全部出し、雑巾で拭く。雑誌や今年行った旅先での観光地図や案内なども処分したが、書類などで選別していないものが残っている。

 

 天気予報で気温が高めで曇りの日に窓掃除をすることになった。網戸外しは私。それを妻が洗って干す。熊本地震と2階の重量のためか4枚ガラス引き戸のアルミサッシ枠が変形したのだろうか網戸が動きづらくなって外せなくなった。そこは2人で両側から雑巾で擦りながら拭く。

 ガラスの内外を水をつけた雑巾で拭き、乾いた雑巾で拭き直す。昔は屋根の上に出て2階の窓を拭いたこともあった。私は高所恐怖症ぎみなので高いところでは足がすくむ。床が透明になっている吊り橋などでは腰の引けた歩き方しかできない。年のせいもあるが、屋根の上に出る気はもう無い。

 外側はゴムのブレードがついた窓ガラス掃除器具も使う。曇りの予報だったが、日も出てきた。こうなると、南側の窓では私が内側で妻が外側になる。顔に日光が当たるのが嫌だそうだ。

 サッシ枠のレールも1年分の泥汚れはかなりある。ブラシ付き蓋を取り付けたペットボトルで水を流してから雑巾で拭う。

 

 網戸を付け直すが、上に2ヶ所ある外れ防止のストッパーのネジを締めなければならない。経年劣化で効かなくなったネジも何ヶ所かある。鳥が網戸にぶつかって穴か空いた時は補修用シールを貼ったが、網の破れが大きければそうはいかない。張り替えを業者に頼むと綺麗だが、かなりの金額になる。そこで、網戸の張り替えを自分でやるようになった。今年も1つ張り替えた。

 網を置いてクリップで固定してから網押さえゴムをローラーで押し込んで行く。これがなかなか上手くいかない。どうしても網がたわんでしまう。余った網をカッターで切り取ってどうにかやり終えた。満足できる仕上がりではなかった。

 年のせいと言えばそれまでだが、背伸びしたりつま先立ちになったりして掃除することが多くてとにかく疲れた。

 

 別の日、カーテンを外してから吊り下げフックを取り外した。妻が洗濯機で洗って干す。乾いた後が私の出番である。フックを差し込んでからカーテンを取り付け直す。プラスチック製のフックが劣化していくつか壊れたので、取っておいた昔の金属フックに替えた。レースカーテンが破れがひどくなったので、後日ホームセンターに安価な既製品を買って取り付けた。

 昨年末にフローリングのワックスがけのことを書いたが、これも別の日にどうにか終わった。毎週燃やすゴミの日は落ち葉拾いなどをやっているが、昨日は茎が高く伸びた草などを引き抜いたり切ったりもした。まだもう少し大掃除は残っているようだ。

 

 突如、普通のハガキより縦長の絵はがきが届いた。私は26歳で2年生を担任したが、そのクラスの生徒だった女性からだった。年賀状のやりとりだけは長年続いている同じクラスの生徒だった男性がいるが、彼から住所を聞いたそうだ。なんでも、地元のタウン誌に、私のことを書いたという。はてさてどんなことを書いたのやら。気にはなるが、こちらでは確認しようもない。

 その彼ら彼女らも卒業して40年以上で60歳を超えている。どんな風貌になっているか、想像もつかない。いつかクラス会をするので、そのときは参加して欲しいとのことだった。年賀状と転勤の挨拶くらいしかハガキは使わなかったが、私も絵はがきで返事を書こうと思った。昔の郵便番号5桁のが出てきた。少しあった7桁のものから仕方なしに季節外れの満開の一心行の大桜の絵はがきを送った。非常勤講師をやめて完全無職になったことや小旅行をしていることなど、最後にクラス会があればできるだけ参加しますと書いた。いつ頃連絡は来るのだろうか。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)