熊本教育ネットワークユニオン

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「二十億光年の孤独」

「二十億光年の孤独

今年二月、小澤征爾さんが逝き、「巨星墜つ」というブログを本欄に書いた。今度は十一月十三日に谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)さんが亡くなった。

谷川さんの詩・文は小学校から高校まで多くの教科書に掲載され、高校教科書では「二十億光年の孤独」が著名だ。とある研究会(朗読会だったかもしれんない)が熊本市民会館だったかのホールで開催されたとき、二階席で会に参加し談笑されている姿を拝見して、高名とは無縁の気さくな方だなあと感心したことを覚えている。

先日、長男の賢作さんが朝日新聞に寄稿し「偉大とか巨匠という言葉が似合わない人だった」「父に悲嘆という言葉は似合わない。『かがやく宇宙の微塵(みじん)になったのではないか』」と述べておられたが、やはりそうかと納得した。

「二十億光年の孤独」の一節に「万有引力とは/引き合う孤独の力である」という一節がある。また「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」さらに「宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である」とある。「時空のゆがみ」という「当時最新の物理学」と、「詩という文学形式」の融合がここにある。思わす岩波新書の「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」を開きたくなる。

私にとって「死」は「永遠に宇宙空間を落下あるいは浮遊していく」イメージだ。「二十億光年の孤独」は最後の二行「二十億年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」で終わるが、私にとっての「死のイメージ」を軽く一蹴している。

もう一つ、掲載される谷川さんの詩は「かなしみ」だ。

「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい   透明な過去の駅で/遺失物係の前に立ったら/僕は余計に悲しくなってしまった」

いずれの詩も1952年、詩人が21歳の時に刊行された処女詩集「二十億光年の孤独」からの作品。父である徹三から俊太郎のノートを見せられた三好達治は、「文学界」誌上で「ネロ 他四編」として「二十億光年の孤独」を公にし、「ああこの若者は/冬のさなかに永らく待たれたものとして/忽然とはるかな国からやってきた」と、その序文(詩)で賞賛したという。

「忽然とやってきた少年」は、三好達治の慧眼のように、92年の人生を詩の可能性を極限まで「やりきって(谷川賢作さんの言葉)」、今頃は地球から138億光年(宇宙の年齢)先の「宇宙の果て」を、思う存分、浮遊しているのだろうか。

                           (Trout 2024.12.8)