熊本教育ネットワークユニオン

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いつまでもある、のか

いつまでもある、のか


 いつまでもあると思うな親と金、とは、川柳だった。川柳とは柄井川柳(からいせんりゅう)と言う人の名からとったという。


 戦争が廊下の奥に立っていた、という渡邊白泉という人の句が、強烈である。575という言葉の並びはリズム感があり調子がよくて、心地いい。だが人間に使われるとあまり良くない。「あのお調子もの」とは、軽々しく信用にかけるという意味合いがありそうだ。調子がいいとなぜ否定的な意味がはいるのか、よくわからない。わかりたいと思う訳でもないが。テニスをしているが、今日は調子がいい、とは、ナイスプレイがでる、いい状態のことだが、調子がいい人はお調子ものだとすると、あまりよくないということか?なにか混乱するようだが、自分だけなのだろうか。


 今読んでいる本は、宇宙のことはほとんどわからないという。ほとんどというのは70%くらいらしい。でもわかってるのが、空間は何もないのということでなく、空間はありそのせいで光が曲がるらしい。望遠鏡で遠い星の光をとらえる。その望遠鏡をずらしてもその星の光が捉えられるということから、光が曲げられていることが確認されているとのこと。わかるようでよくわからないが、楽しくはある。また、光より速いものはないようだ。そうだろう。299792458m/s。にくくなくふたりよればいつでもハッピー。


  自分がいかになにも知らないかということ、いかに身体を動かすことがうまくできないかということはわかる。なので、知ることは楽しいし、身体を動かすことは楽しいし、音を出すことは楽しい。川柳や俳句で、人に訴えることかできるといいなとは思うが、その楽しみはまだ、わからない。


 いつまでもあると思うな親と金

    ないようであるのを利子と言う時代
    本当のようでうそかもブログかく