熊本教育ネットワークユニオン

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冬の日に聴く夏の交響曲 ~私の偏愛音楽ノート・その2※~

冬の日に聴く夏の交響曲 ~私の偏愛音楽ノート・その2※~

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 もう何度聴いたか分からない。そしてその度に思う、何と変わった交響曲であるかと。ベートーヴェンブラームスのような、4つの楽章でまとまった交響曲に親しんだ耳には、この音楽はほとんど支離滅裂である。混乱の極みである。曲想の展開がまるで見通せない。かと思えば、強と弱、動と静の妙が、まるで玉虫のような光沢を放つ。長大な曲であるにも関わらず聴き飽きることがないのは、随所に用意されている美しい旋律のおかげだろう。聴き終わった後ため息をついて、いや待てよ、ともう一度聴きたくなる。そして、やっぱり変な曲だ、全体的な統一感に欠ける、という思いを新たにする。それでいて、美しい旋律に感嘆もする。

 オーストリア中部、ザルツブルグの近郊にアッター湖という湖があるそうだ。行ったことはないが、その畔のシュタインバッハという村の小さな小屋で、作曲家グスタフ・マーラー交響曲の作曲に励んだそうだから、おそらく美しい湖、心休まる村であったに違いない。1895年、マーラーは夏の休暇にこの地を訪ね、湖畔の小屋に籠って長大な交響曲を完成させた。それが彼の第3交響曲ニ短調、別名「夏の交響曲」である。

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 この曲の何がそんなに変わっているか、自分の主観も含めて列挙してみる。

〇全6楽章から成る。演奏時間およそ100分という常識破りの長さである。傑作の誉れ高いモーツァルトの、あの最後の3つの交響曲を合わせた長さに匹敵する。第1楽章だけでおよそ35分を要する。これはベートーヴェンの第5番「運命」全曲とほぼ同じ長さになる。

〇八つのホルンによるユニゾンで始まる。勇壮な、堂々とした行進曲風の旋律だ。ホルンのこの力強さは他の作曲家では聞いたことがない。断固とした中に独特の温かさ、ふくよかさが耳に残る。どんよりした冬空の下で聞いてもスカッと晴れ渡るような心地よさがある。

〇それにしてもさすがに冗長に過ぎるのではないか。序奏に11分以上もかける必要があるのか。また、展開部から再現部へのつなぎが不自然ではないか。

〇打って変わって、第2楽章、第3楽章は穏やかな自然の歌である。彼のほかの作品にも必ず見られる、牧歌のようなのどかな音楽だ(自分はこれを「マーラーの叙景詩」と呼ぶ)。大音量の金管楽器に代わって、ここでは優しい音色の木管楽器が花や鳥たちを巧みに描写する。目をつぶると、小枝を走り回るリスや、湖を渡る風、帆を張ったヨットまで浮かんでくるではないか。         

         (3)

 第4楽章。古典派から前期ロマン派までの作曲家なら、ここでアレグロ楽章を持ってきて全体の締めくくりとするのだ。ところがマーラーはそんな型には嵌らない。「僕にとって交響曲とは、まさしく使える技術すべてを手段として、一つの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する」(伝記作者に語る)。第4楽章ではアルト独唱を、第5楽章では合唱を取り入れるのである。アルト独唱はニーチェの言葉による神秘的な歌。これに、女声と児童による明るく朗らかな合唱が続く。その端正なハーモニーは何度でも聞きたくなる美しさだ。予備知識なしに聞けば、子どもたちと学校の先生が湖畔でピクニックでもしているのではないかという絵が浮かぶ。が実は、ここはイエス・キリストの最後の晩餐で、使徒ペトロが「十戒に背く行いをやりました」と懺悔をしている場面なのだそうだ。子ども達の声は天使の声である。音楽と、描写されたシーンの不釣り合いが何とも面白い。

 やっと第6楽章まで到達。しかしここも長いのだ。演奏時間はおよそ22分である。もう終わるかな、終わるかなと思ってもなお続く。やはり冗長の感は否めない。この楽章の特徴はやや哀切な旋律美であると言えるだろう。そしてフィナーレは、2台のティンパニがドンドンと豪快にリズムを刻み、全管弦楽が咆哮する中で感動の幕を下ろすのである。   


  

 ※以前、ドビュッシーピアノ曲について書いたことがあります(23年4月)。それを「その1」とします。今回のCDは専ら、東京都交響楽団(指揮・若杉弘)を利用しました。     ~オウシャン・セイリング~