熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

雨がふる

雨がふる

    「雨が降らないと作物という命綱が育たないから、雨よふれ、と雨乞い踊りをする。すると必ず雨が降る。何故か。」と問われ、答を聞いた。

  昨日ママンが死んだ、からはじまるカミュの「異邦人」。主人公ムルソーは、施設で亡くなった母の葬儀に行くが、そこで涙を流さない。友人のいさかいに巻き込まれ、拳銃で人を殺す。それは太陽のせいだ、と。
  裁判の結果、葬儀での涙をながさなかったなどのムルソーの態度が施設の職員などから述べられることで、死刑を宣告される。しかし、ムルソーは死刑の日を、死刑を見に来る人を、喜んで迎えようしている。ということでこの話は終わる。
 太陽のせいで人を殺す。わかるようでわからない。死刑を見に来る人を見るのを喜ぶといのもわからない。不条理ということか。
  Wikipediaによると、カミュによって、1942年に発表された「異邦人」のあと同年「シーシュポスの神話」、「カリギュラ」(1944年)、「ペスト」(1947年)、「転落」(1956年)と発表し、1957年ノーベル文学賞を受けている。受賞理由は「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して」。
 1940年から1944年まで、フランスはビシー政権下と言われる圧制のもとであったが、人々はカミュを圧倒的に支持したそうである。そんな苦しい政治のなかに生きたことない自分だからわからないのかもしれないが、現在の年金カットに抗議して数百万の人がデモを行うフランスに生き続けるものが語られてるのだろうか。
 高校生平和大使の「微力でも、無力ではない」を希望としながら生きることとつながることなのか。
 
  雨乞い踊りは今日踊ったが雨が降らなかった。なら明日も踊る。降らなかったら次の日も。そう、降るまで躍り続ける。
 となれば「踊りを楽しんでもいいじゃないか」と、考えてもよさそうかな。

(M)