熊本教育ネットワークユニオン

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ノスタルジア(その4)

ノスタルジア(その4)

          (1)
 話を古墳の出土品に戻すとしよう。宇土市立図書館1階の「郷土資料室」の奥にそのコーナーはあった。刀剣4本と槍の穂3本、丸い鏡が大小3個。そして、おそらく女王(願望と敬意を込めてあえて断定する)の身を飾っていたであろう装飾品の数々が、白い布の上に整然と並べてあった。これらすべてが国の重要文化財に指定されたそうだ。西暦400年頃の社会の有り様を彷彿とさせること、すでに金属文化が存在し人々の生活に利用されていたであろうこと、そのことを教えてくれる歴史の証人として貴重であるということ等が指定の理由である。
 さて、肝心の石棺と人骨はどこにあるのだろう。コーナーには発掘された当時の写真が展示してあるだけである。係員(学芸員と呼ぶべきか)に聞いてみる。
「石棺と人骨は別室に保存してあるのですか。」すると、
「ここにはありません。研究と保存のために熊本大学に移してあります。」
(なあんだ、やっぱりそうだったか。人の目に容易に触れる場所に置いてある筈は
ないとは思っていた。好奇の目を向ける輩もいようから。しかし熊大とは……。本物をみれば詩のインスピレーションが湧くのではないかと思っていたのに、残念だ。おっと、やっぱり己も好奇の目でみていたに過ぎないのかもしれぬ。)

          (2)
 気がつけばホオジロがしきりに歌っていた。いや、歌うというより何かを語っていた。風景に見事に溶け込んでいたのでその声が聞こえなかったのである。その短いフレーズは子どもに絵本の読み聞かせをしているようである。一方、背後の森にはホトトギスがいるようだ。こちらは豊かな声量と自信たっぷりの抑揚で、「トッキョキョカキョク」を繰り返していた。
 わがノスタルジア。子どもの頃の思い出を辿っているうちに、話題は遙かいにしえの、石器や土器の時代まで遡ってしまった。そろそろまとめに掛からねばなるまい。そういう訳で、今日も岡岳公園へやってきた。ここはわが少年時代を語るには欠かせない場所だ(注:「その1」をご参照ください)。宇土半島基部の広闊な風景が見下ろせる。
 昔と今と、何が変わり何が変わっていないのか。耳取山と柴尾山、及びその二つのピークを結ぶ吊り尾根の美しさ、これは昔のままである。片や、高圧電線の鉄塔、山麓を一直線に走る新幹線の橋桁、これらは当時はなかったもの。俯角に収まる人家の数も、昔に比べると幾分かは増えているだろう。しかし、それらとてすべてこの数十年のことである。6000年もの歴史の一端に触れた今では、そんな変化はほんの一時的現象ではないかと思われる。むしろ今の自分のように、たとえば6000年後の子孫たちがその時を追憶できるような、心温まるふるさと、平和な地球を、我々は残すことができるのだろうか。目の前に広がる緑の風景はそんな思いを抱かせた。

          (3)
 その日、少年は一人で「オンノイワ」に残っていた。周りの子どもたちはみんな先に帰ったのに、なぜかひとりぼっちで夕日を眺めていた。その時眼下に、駅を出る蒸気機関車の姿が見えた。汽車は黒い煙を吐きながら、そして、あの叫ぶような、咽ぶような、「エーン」という警笛を鳴らしながら、南の方へ遠ざかって行った。少年ははっとして我に返り、一目散に山を駆け下ったのであった。(終)


~長く読んでいただきありがとうございました。(オウシャン・セイリング)~

 

編集者注 「ノスタルジア」のその1~その3は下の通りです。

その1 https://kenu2015.hatenablog.com/entry/2023/05/25/025450

その2   https://kenu2015.hatenablog.com/entry/2023/06/15/054116

その3 https://kenu2015.hatenablog.com/entry/2023/06/29/000904